大阪地下街70周年 地上だけでは足りなかった大阪が、地下につくった「第二の街路」


リニューアル前の大阪駅前地下道東広場

大阪地下街株式会社が、2026年6月13日に創立70周年を迎えました。

70周年という数字は、単に老舗企業の節目というだけではありません。大阪という都市が、戦後の早い段階から、地上だけでは人をさばききれないほど高密度化していたことを示す数字でもあります。

地下街と聞くと、飲食店や物販店が並ぶ商業施設を思い浮かべがちですが、大阪地下街の歴史をたどると、その原点は「買い物施設」ではありません。地上の交通混雑を緩和し、安全で快適な歩行者空間を確保するための公共通路でした。

大阪の地下街は、地下に店を並べるために生まれたのではなく、地上だけでは足りなくなった都市が、地下を「第二の街路」として使い始めた結果、誕生したのです。

原点は商業開発ではなく交通対策


リニューアル後の大阪駅前地下道東広場。夜中まで粘って無人になる瞬間を狙ったが・・

大阪地下街の歴史は、1955年の「大阪地下街株式会社設立準備委員会」から大きく動き出します。

公式年表によると、地下街建設案は、地上の交通対策の一環として大阪市土木局と交通局で協議されていました。翌1956年には大阪地下街株式会社が設立されます。設立趣旨は、交通緩和と土地の有効活用による地域発展でした。

当時の課題は、過密化する都心で、人と交通をどう分けるか。限られた都心空間をどう有効に使うか。その答えとして、地下に歩行者空間を整備する構想が生まれたのです。

もちろん、地下空間を維持するには収益が必要です。そこで公共通路としての機能に商業機能を組み合わせ、店舗収益で地下空間の維持管理を支える仕組みがつくられました。大阪の地下街は、都市インフラであり、同時に商業施設でもあります。この二面性を最初から持っていたことが、70年続いた理由でもあります。

1957年、難波に大阪初の地下街

大阪初の地下街として開業したのが、1957年12月18日の「ナンバ地下センター」です。現在の「NAMBAなんなん」にあたります。

1957年という開業時期も注目点です。1970年の大阪万博より13年前、1964年の東海道新幹線開業より7年前です。その時点で、難波にはすでに地下に商業空間を成立させるだけの人流と消費力がありました。

これは、戦後復興から高度経済成長へ向かう大阪の勢いをよく示しています。まだ新幹線もなく、万博による国際都市化の前段階にあった時代に、難波では地下空間を使って人の流れを整理し、同時に商業機能を持たせる試みが始まっていました。

地下街は、都市の余白に生まれた商業施設ではありません。人が集まりすぎる都市が、地下をもう一つの歩行者空間として使い始めた結果として誕生したのです。

梅田・難波・天王寺で進んだ立体都市化

その後、大阪では主要ターミナルを中心に地下街の整備が相次ぎます。
主な動き 現在の施設
1955年 大阪地下街株式会社設立準備委員会を開催 地下街構想が本格化
1956年 大阪地下街株式会社を設立 交通緩和と土地有効活用を目的に発足
1957年 ナンバ地下センター開業 NAMBAなんなん
1963年 ウメダ地下センター1期開業 ホワイティうめだ
1966年 ドージマ地下センター開業 ドーチカ
1968年 アベノ橋地下センター開業 あべちか
1970年 ミナミ地下センター「虹のまち」1期開業 なんばウォーク
1970年 ウメダ地下センター2期・泉の広場開業 ホワイティうめだ
この流れを見ると、大阪の地下街は偶然に増えたものではないことが分かります。梅田、難波、天王寺という大阪都心の巨大ターミナルで、鉄道、百貨店、地下鉄、道路、バス、周辺商業施設が重なり合い、都市機能が立体化していく過程で、地下街が次々に必要になっていきました。

特に梅田は象徴的です。1963年に開業したウメダ地下センター1期は、阪急・阪神百貨店、主要ビル、地下鉄御堂筋線・谷町線の改札を結ぶ地下道として整備されました。最大幅は13m、施工総面積は約1万8,000㎡。当時のナンバ地下センターの約3.5倍という大規模な地下空間でした。

開業初日は約100万人が来街したとされています。

1963年の梅田で、初日に100万人規模を地下へ吸い込む施設が成立していた。この事実だけでも、大阪がすでに巨大ターミナル都市だったことが分かります。

地下街づくりはターミナルづくりだった



大阪地下街70周年特設サイトのトップインタビューでは、地下街を百貨店やショッピングモールとは異なる存在として位置づけています。百貨店やショッピングモールは、建物単体で完結する商業施設です。一方、地下街は駅、道路、広場、周辺商業施設と一体になり、都市の動線そのものを形づくります。

つまり地下街は、売る場所である前に、歩く場所であり、つなぐ場所です。この視点で見ると、大阪の地下街の意味がはっきりします。地下街は駅ナカでも、単独の商業ビルでもありません。Osaka Metro、JR、私鉄、バス、地上の街へと人の流れが立体的に交差するターミナル全体を動かす都市の基盤です。

梅田、難波、天王寺、京橋。大阪地下街が運営する施設は、いずれも大阪の主要ターミナルに位置しています。地下街が発達した場所は、人が集まる場所であり、都市の流れが複雑に交差する場所でした。

地下街づくりは、ターミナルづくりそのものだったと言えます。

6施設で一日86.9万人を受け止める地下ネットワーク



現在、大阪地下街株式会社が運営する主な地下街は、ホワイティうめだ、ドーチカ、コムズガーデン、なんばウォーク、NAMBAなんなん、あべちかの6施設です。

2019年時点の一日推定来街者数を合計すると、86.9万人に達します。
施設 開業 一日推定来街者数 延床面積 店舗数
ホワイティうめだ 1963年 400,000人 31,336㎡ 178店舗
ドーチカ 1966年 180,000人 7,964㎡ 54店舗
コムズガーデン 1990年 27,000人 7,847㎡ 21店舗
なんばウォーク 1970年 167,000人 37,881㎡ 210店舗
NAMBAなんなん 1957年 37,000人 7,189㎡ 47店舗
あべちか 1968年 58,000人 9,771㎡ 35店舗
合計 869,000人 101,988㎡ 545店舗
一日86.9万人という数字は、商業施設の来館者数として見るより、都市の歩行者流動として見た方が実態に近いでしょう。

ホワイティうめだだけで一日約40万人、ドーチカで約18万人、なんばウォークで約16.7万人。これらは、買い物目的の来街者だけでなく、通勤、通学、乗り換え、待ち合わせ、飲食、回遊など、都市の日常的な移動を大量に受け止めている数字です。

大阪地下街6施設は、地下に広がる商業施設群というより、梅田・難波・天王寺・京橋の人流を支える巨大な歩行者ネットワークです。

次の70年、地下街はどう変わるのか



では、70周年を迎えた大阪地下街は、これからどう変わっていくのでしょうか。鍵になるのは、地下街を「古い商業施設」として見るのか、「都市の歩行者インフラ」として見るのかです。

地下街を商業施設としてだけ見れば、論点はテナントの入れ替えや内装のリニューアルにとどまります。しかし、歩行者インフラとして見ると、問われる内容は大きく変わります。

人の流れをどう整理するのか。初めて来た人にも分かりやすい案内にできるのか。高齢者や車いす利用者、ベビーカー利用者が無理なく移動できるのか。猛暑や豪雨の日にも快適に歩けるのか。停電、火災、浸水、地震に備えられるのか。地上の再開発や駅の改良に合わせて、地下の動線をどう組み替えるのか。

これらは、一般的な商業施設の課題ではありません。都市インフラの課題です。大阪の地下街は、もともと地上交通を円滑にし、歩行者の安全を確保するために生まれました。その地下ネットワークを持続的に維持する経済的な基盤として、商業施設が整備されてきました。

つまり、歩道が主で、商業が従です。

この関係は、次の70年でも変わらないはずです。むしろ、気候変動、都市再開発、インバウンド、バリアフリー、防災対応が重みを増すほど、地下街は商業施設である前に、都市の移動環境を支えるインフラとして再評価されていきます。

次の大阪地下街に求められるのは、単に新しい店を増やすことではありません。

迷わず歩けること。暑さや雨を避けられること。災害時にも安全であること。誰にとっても使いやすいこと。駅、ビル、地上の街を自然につなぐこと。そして、その仕組みを商業収益によって持続可能に支えていくことです。

70年前、大阪は地上だけでは足りない都市になり、地下に第二の街路をつくりました。次の70年は、その第二の街路を、変わり続ける大阪の都市構造に合わせて、どう更新していくのかが問われます。

地下に広がる、もう一つの都市インフラ



大阪地下街70周年は、懐かしい地下街の歴史を振り返る節目であると同時に、今後、そのインフラをどう守り、どう更新し、変わり続ける大阪の人流にどう対応させていくかを問う良い機会かもしれません。

切れ目なく続く再開発、近年爆発的に増えたインバウンド客、少子高齢化に伴う国内人口の減少、EC市場の拡大と、リアルな体験価値を売る百貨店。SNSで話題のスイーツ店に、駅前ビルの人情味あふれる立ち飲み屋。それらをつないできたのが、今日の大阪の地下街です。

地上だけでは足りなくなり、地下に掘り下げてつくった大阪の歩行者インフラは、これからも時代とともに変わり続けることができれば、100周年、140周年を迎えるときも、変わらずにぎわい続けていることでしょう。




【出典】
大阪地下街株式会社「大阪地下街70周年」特設サイト
大阪地下街株式会社「トップインタビュー」
大阪地下街株式会社「これまでの歩み」
大阪地下街株式会社「大阪地下街株式会社の施設」

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