2021年3月の様子

現地の様子です。前回の撮影が2021年2月だったので、約1ヶ月振りの取材です。

北街区の様子です。3点式パイルドライバが投入され山留め工事が始まりました!

南街区の様子です。

サウスゲートビルディングから見た南街区の様子です。

近くで見た様子です。

大阪駅地下ホーム(写真左)とウエストゲートビルディング(写真右)の様子です。

最後は引きで見た、うめきた二期地区全体の様子です。
2021年2月の様子

現地の様子です。前回の撮影が2020年12月だったので、約2ヶ月振りの取材です。

敷地北側の様子です。

敷地の真ん中付近の様子です。

敷地南側の様子です。このあたりの工事が先行して行われています。

撮影ポイントをかえてノースゲートビルディング・ルクア1100の西側から見た様子です。大阪駅地下ホーム(梅北新駅)と駅前広場が設けられるあたりです。

最後は南側から見た様子です。
2020年12月の様子

現地の様子です。前回の撮影が2020年11月だったので、約1ヶ月振りの取材です。
今回は正式に「着工した」旨のアナウンス後の最初の取材なので、いろいろな場所から撮影きました。先ずは北街区の様子です。こちらはまだ重機が投入されておらず建設工事は始まっていませんでした。

こちらは、うめきた2期地区のシンボルとなる都市公園付近の様子です。

続いて南街区の様子です。こちらは三点式パイルドライバ(杭打ち機)が投入され山留め工事が行われていました。

ルクア1100の西端から見た街区の様子です。

南側から見た様子です。

撮影ポイントを変えて、明治安田生命大阪梅田ビルから見た、北街区の様子です。

同じく都市公園の南側付近の様子です。完成イメージパースにある、リフレクション広場が設けられる場所です。

南側付近の様子です。

1987年に国鉄が民営化された頃から構想が持ち上がり、貨物機能を吹田操車場跡地へ移転させる計画が発表され、在阪テレビ局5局を集める「メディアシティ・フォーラム」などの再開発計画が持ち上がりました。しかし、バブル崩壊に吹田市の貨物駅移転予定先での反対運動などにより、貨物駅の移転が進まず再開発計画が停滞。10年以上の月日が流れ1999年に百済・吹田への貨物機能移転計画案が纏まり、ようやく機能移転の道筋がつきました。
その後は旧大鉄局後にヨドバシカメラが出店し、先行開発地区としてグランフロント大阪が開業するなど「うめきた」は、段階を踏んで再開発が行われてきました。そして2020年12月。うめきた地区の最後を締め括る「2期地区」が着工され、初期の構想から33年あまりの時を経て、全体計画完成に向けた最後の一歩を踏みだしました!


