「大阪と東京、どう違いますか?」
芸人が東京に出るたび、必ずと言っていいほど浴びせられるこの質問。
そして、それに対する“お決まりの返し”もまた、ずっと繰り返されてきました。
「大阪の番組はADさんが握ったおにぎりで、東京は高級ロケ弁なんです」
そんなテンプレートの会話に、見取り図・盛山晋太郎氏は苦笑いしながら、こう言い放ちました。
「もう、みんなの古典落語みたいじゃないですか」
この一言には、単なる“笑いのマンネリ”を越えた、根深い問いかけが含まれていました。
「笑いの街」は、いつから「笑われる街」になったのか
大阪は、かつて“お笑いの聖地”と称されてきました。芸人が育ち、街全体がボケとツッコミを楽しむ文化を育んできたことも事実です。しかし一方で、テレビやメディアは長らく大阪を“ちょっと下品で野暮ったいけど憎めない存在”として扱ってきました。ネタにされることが当たり前になり、「笑いの街」は、いつしか「笑われる街」へとすり替えられていたのです。
“愛あるいじり”という言葉の陰で、大阪は「いじっていい街」「下げて笑ってもいい対象」として、都合よく消費され続けてきたのです。
“笑いの圧”から距離を取りたかった人たちへ

この空気を敏感に察知していたのは、芸人だけではありません。ボケとツッコミが当たり前とされる空気に違和感を抱いた、同調圧力を嫌う層もまた、どこかで息苦しさを感じていました。
「みんながボケとツッコミをしたいわけじゃない」
「“大阪やから面白いやろ”というノリを押しつけられるのがつらい」
そんな声にならない声を抱えた彼らは、“面白さ”を強要されない場所を求めて東京へと向かいました。
ところが、東京でもまた――「ボケてよ」「大阪の人でしょ?」と笑いを求められる日々が続く。逃れたかった“空気”は、結局どこへ行っても追いかけてくる。それは、自分の出身地が“ネタ”として固定されることで、そういった人々の居場所をじわじわと狭めていく構造でもあったのです。
盛山氏の言葉に宿る“静かな矜持”
盛山氏は、こう語ります。
「大阪をちょっと下げて笑いにするのって、やっぱり心が痛いんですよ」
これは単なる愚痴でも、業界あるあるでもありません。お笑い界の中で、長年誰かが感じていながらも口に出せなかった“違和感”を、初めて真正面から言葉にしたのです。
ネタにすることと、見下すことは違います。「愛があれば大丈夫」と言うのは、受け手の気持ちを無視した一方的な免罪符に過ぎません。盛山氏の静かな訴えには、「大阪をただの笑いの素材にしないでほしい」という、深く静かな矜持が滲んでいました。お笑い芸人として、あえて“笑い”そのものに問いを投げかけた盛山氏の発言は、極めて画期的です。長年当たり前のように繰り返されてきた「大阪=いじられ役」という構図に対し、初めて真正面から「それでいいのか」と疑問を呈した言葉でもありました。
それは、芸人という立場から語られた都市論であり、笑われることを前提にされた場所が、誇りとともに自らの物語を取り戻していく時代の到来を、静かに告げるものでした。
現実の大阪と“刷り込まれた大阪像”の乖離
今、大阪の街は明らかに変わりつつあります。USJの復活、インバウンドの急回復、そして万博やIRなど国際的なプロジェクトが次々と動き出しています。一方で、テレビの中では今なお「いじられ役」の大阪が擦り続けられている。このギャップは、もはやごまかせないほどに広がっているのです。
実際に大阪を歩いた人々は、こう語り始めています。「テレビで見てた大阪と、現地で感じた大阪は大きく異なっていた」と。かつて「笑われていた都市」が、いまや誇りとともに、自らの物語を取り戻そうとしているのです。
「笑われ役」を終わらせる時代へ

「もう、みんなの古典落語になってませんか?」
盛山氏のこの問いかけは、単なる笑いの形式批判ではありません。そこには、都市と笑いの関係に内在する“ヒエラルキー”を問い直す視線があったのです。
大阪は、いつまでも「笑われ役」に甘んじる必要はありません。誰かに与えられた“役”を演じ続けるのではなく、自分たちの言葉で、自分たちの物語を語る時代へと踏み出すべきです。
その兆しは、すでに街のあちこちに現れ始めています。そしてその変化の最前線に、芸人・盛山晋太郎氏の一言が、確かに火を灯したのです。
出典
本記事は、2025年6月3日付スポーツニッポン(スポニチアネックス)掲載
「“大阪サゲ”の笑いに飽き飽き?見取り図・盛山、東京進出後のエピソードは『みんなの古典落語みたい』」の記事内容をもとに再構成・考察を加えたものです。
番組出典:MBSテレビ「あれみた?」
大阪は、もはや一地方都市以外の何物でもない。観光地としては成功しているけど、その他ビジネスは成り立たんというのも過言ではなくなった。サゲでよろしいやん。他に可能性はある?ない。
大阪という地名に過剰反応して叩かないと気が済まない人が一定数いるのは何とかならないか?
かつての大阪(市)は、反権力、反中央、反東京という気風があったと思います。
大阪市を消滅させる大阪都構想では、半数近くの人が賛成しました。
大阪市民も東京のマネをしたい、東京にあこがれているという人が多くなったと思います。
大阪だけが再び発展するのではなく、京阪神が協力して発展することを期待します。
東京と大阪を比較して大阪を下げて笑いをとる古典的なのじゃなくて、マスコミが広めたステレオタイプな大阪のイメージを完全否定するネタで笑いをとるアバンギャルドな漫才を誰かやって欲しい。
ちょうど今日YouTubeのcmで盛山さんの相方がテレビが作った居もしない大阪のおばちゃん(豹柄の服、派手な髪色)の格好をしていたけど
盛山さんは嫌ってことなのかな
日本の都市として大阪は経済的にも重要な位置づけでしたが、ちょうど70年の万博付近から凋落の一途でした。
マスコミも東京発信がメインであり(地方で野球と言えばジャイアンツ!)、そこで大阪が最前線に立てたのは「お笑い」だったのかもしれません。
アイドルやスターといわれる芸能事務所は東京ですし、その昔のお笑いはイロモノ扱い。
強いて言えたのはまだ関西に主導権があった、時代劇が全盛だったころは京都撮影場に来た東京の役者達はイッパツかまさないと舐められる状況でした。
昔は東京に負けるか!の雰囲気のあった番組もありましたが、市場規模から東京が主戦場となってしまい、大阪のサービス精神と自虐ネタが自分で自分の首を絞めいつの間にか笑い見下してもてもいい街に貶めてしまったのかもしれません。
近畿地区の歴史は層が厚く、決して他地域に見劣るところはありまあせん。
もっと歴史的文化(根付いたローカル)を大切に再開発を行って一味違う街を作り上げて欲しいですね。
とりあえずMGM大阪の発信力で風穴をあけてもらいたいです!
5年後が楽しみです!!