平城宮跡 第一次大極殿院 南門復元工事の状況 18.10


平城宮跡歴史公園は、奈良市内に広がる特別史跡平城宮跡を計画地とした国営公園です。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つでもあり、日本を代表する歴史・文化資産である平城宮跡の一層の保存・活用を図る目的で、平成20年度に事業化されました。現在、同年度に策定した公園基本計画をもとに事業が進められています。

特別史跡平城宮跡の国有地を中心に、史跡平城京朱雀大路跡とその東側を加え、国営公園の区域にするとともにその周辺において、奈良県が中心となり国営公園と連携した整備を行う区域を合わせ一体的な公園整備を行っています。(国営公園区域約122ha、その他区域約10ha 合計で約132ha)。 国営公園としての全体開園はこれからですが、2018年3月24日、朱雀大路を中心に観光拠点ゾーンとして整備していた「朱雀門ひろば」が一部開園。今後も、発掘調査の実施や景観、アクセス、現況利用からみた場所の特性に応じ、各ゾーンに見合った施設の整備、ソフトの展開が図られる予定です。

【出展元】
平城宮跡公園

 

 

平城京は本格的な中国様式の都

 

平城京ができたのは西暦710年。元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、それまでの都だった藤原京から遷都し、新しい大規模な都がつくられました。平城京のモデルとしたのは、その頃もっとも文化の進んでいた唐(中国)の長安です。

平城京の面積は東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の東側に、東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を加えた総面積は約2,500ヘクタール。都の南端にある羅城門から朱雀門までまっすぐにのびるメインストリート・朱雀大路は幅約74m。道路というより広場と呼びたくなる広さです。この朱雀大路の西側を右京、東側を左京といいます。碁盤の目のように整然と区画されたスケールの大きな都には10万人以上の人が暮らしていたといわれています。

 



 

 

 

第一次大極殿院 南門の復元工事

 

調査研究に基づく外観を復原するため、2011年(平成23年)「第一次大極殿院建造物復原整備計画」が策定され、「築地回廊」、「南門」、「東西楼」、「内庭広場」を順次整備していくことが決定されました。これらの復原工事は長期にわたるため、工事現場を公開しながら、現在まで伝承される伝統技術の素晴らしさを広く発信していく予定です。

 


 

 


第一次大極殿院の南門(手前中央)の模型です。奥に見えるのは2010年に復元工事が完成した第一次大極殿です。

 

 

 

 

 

 


復元工事が完成すると、この模型の様な状態になります。上が大極殿、下が南門です。

 

 

 

 

 

 

 

 


大極殿前の広場は国家的な儀式が行われた特別な空間でした。

 

 

 

 

 

 

 

復元工事中の南門

 

 


現地の様子です。巨大な鉄骨が姿を表していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近くで見上げた様子です。この大きな建屋の内部で復元工事が進められます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西側から見た様子です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


東門復元工事の現場と第一次大極殿の様子です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



復元工事が進む南門。将来的には東門に加え東西楼と、第一次大極殿を含む、南北約320m、東西約180mの区画を取り巻く回廊が整備され、当時の特別な空間が再現される予定です。平城宮跡はあまりに広大な為、復元工事は気が遠くなる様な年月をかけて進められて行きます。

 

 

 

 

 

 

 




【おまけ】

 


朱雀門と平城宮を横切る近鉄特急の様子です。近鉄奈良線には平城宮を迂回して地下する構想もありますが、実現まではこれまた長い時間がかかると思います。