尼崎城は兵庫県尼崎市北城内にあった平城で、江戸時代に畿内防備のために築城された城の一つです。1617年(元和3)に譜代の武将戸田氏鉄(うじかね)が、近江の膳所城から5万石で入封しました。戸田氏鉄は築城の巧者といわれ、幕府から畿内防備の一環として築城を命じられ、翌年尼崎城を築きました。尼崎城は4層の天守を持つ本丸を中心に、二の丸・松の丸・西三の丸・東三の丸をらせん状に配置した近世城郭でした。
明治6(1873)年の廃城令後に建物は解体されました。本丸御殿の「金の間」は尼崎市内の松平家の菩提(ぼだい)寺に移築されましたが、戦災で焼失しています。
消失していた尼崎城ですが、家電量販店「旧ミドリ電化(現エディオン)」の創業者の安保詮氏が私費約12億円を投じて復元を進め昨年11月の完成後に市に寄贈しました。また、市民らからも2億円近い寄付が集まりました。復元天守は鉄筋コンクリート造りで高さ約24m。当時の場所からは北西約300mに位置する尼崎城址公園内に建てられました。城内部には、かつての城下町を映し出すVRシアターや剣術体験コーナーなどが設けられています。
それでは「平成最後に築城」された尼崎城を見てゆきましょう!
まず目についたのが、石垣や城郭と超高層ビルのコントラスト。
復元天守とルネ・セントラルタワー(高さ124m)の様子です。江戸時代の高層建築物と現代の高層建築物が並んでいます。
復元天守の足元は人工芝の芝生公園となっており、多くの家族連れがピクニックを楽しんでいました。
天守を近くで見上げた様子です。復元天守の出来栄えは、かなりのモノだと思います。
最後は北西側から見た天守の様子です。









