2025年10月15日、近畿日本鉄道(近鉄)は「2025年度グッドデザイン賞」で3つの部門を受賞したと発表しました。対象となったのは、新型一般車両「8A系」、大阪上本町駅・上本町バスターミナル、そして鶴橋駅2番線の「可動式ホーム柵(昇降ロープ式)」です。
これらはいずれも単なる設備の改善ではなく、「公共交通をどうデザインし直すか」という根本的な問いに向き合った取り組みとして評価されました。近鉄は「鉄道を運ぶ仕組み」ではなく「人が快適に過ごせる仕組み」として再設計を進めており、公共交通の未来像を提示した受賞となりました。
1. 新型一般車両「8A系」:移動における“個の選択肢”を再設計
2024年秋にデビューした近鉄の新型車両「8A系」は、奈良・京都・橿原・天理線で運行を開始し、2025年度までに21編成(84両)が導入される予定です。
最大の特徴は、ロングシートとクロスシートを切り替えられる「L/Cシート」と、ベビーカーや大型荷物にも対応できる「やさしば(優しいスペース)」を1両に2か所設けたことです。
観点 | 従来 | 8A系が示した転換 |
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利用者体験 | 輸送効率を最優先 | 利用者が「移動のしかた」を自分で選べる |
設計思想 | 最低限のバリアフリー対応 | 通勤・観光・子育てなど多様な行動を想定 |
開発プロセス | 技術者中心で設計 | 乗務員や沿線住民の声を取り入れた協働設計 |
さらに、防犯カメラの設置や女性乗務員に配慮した運転席設計、従来比で45%の省電力化など、安全・環境・多様性を一体的にデザインした点も高く評価されました。
審査員は「一般車両でありながら観光列車並みの快適性を実現した」とコメント。“選べる公共交通”という新しい価値観を提示した車両として注目されています。
深掘り視点:
8A系が生み出したのは、鉄道を「決められたルールで乗る乗り物」から、利用者が自分の時間と空間を自由に使える“パーソナルな移動空間”へと進化させたことです。つまり、公共交通の目的が「人を運ぶこと」から「人に心地よく過ごしてもらうこと」へと変わった、その転換を象徴する車両となりました。
2. 大阪上本町駅・上本町バスターミナル:駅を“地域をつなぐハブ”に再構築
大阪・関西万博に合わせたシャトルバス発着場の整備をきっかけに、近鉄は上本町駅とバスターミナルを一体的にリニューアルしました。これまで駅とバス乗り場は分かれていましたが、今回の改修で駅1階の3番線ホームを廃止し、2階のバスターミナルと直結する新しい通路を整備。曲線を多用した動線設計や、線路跡をモチーフにした床デザインによって、利用者が自然と目的地に向かえる空間が生まれました。
観点 | 従来 | 上本町リニューアル後 |
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動線設計 | 鉄道・バス・商業施設が分断されていた | 駅と街をひとつの流れでつなぐ構成に |
空間設計 | 機能重視で暗く、閉鎖的 | 光や素材で明るく、心理的負担を軽減 |
経営戦略 | 駅=交通の結節点 | 駅=人と地域経済をつなぐ“起点” |
審査員は「鉄道とバスの境界をなくし、駅全体の使いやすさを大きく高めた」と高く評価しました。
深掘り視点:
上本町駅のリニューアルは、単なる乗り換えの効率化ではなく、「人・街・経済をつなぐ動線デザイン」の実験でもあります。鉄道・不動産・ホテル事業を手がける近鉄グループ全体で連携し、駅を「地域経済を動かすエンジン」として再定義しました。つまり、デザインを通じて「移動」と「滞在」を切れ目なくつなぐ。そんな“新しい駅のあり方”が形になりました。
3. 鶴橋駅ホーム柵:安全設備を“街の景観の一部”に変えた
鶴橋駅2番線に設置された「可動式ホーム柵(昇降ロープ式)」は、2025年3月に稼働を開始しました。このホーム柵は、安全設備でありながら“見た目の美しさ”にもこだわって設計されています。突起のないすっきりした構造とし、アルミ製の柱の中に配線をすべて内蔵。ロープ部分には帯を加えることで、全体を“面”として見せるデザインに仕上げています。また、注意色(黄色や赤などの警戒色)を最小限に抑えながらも、しっかりと視認できるよう工夫されています。結果として、機能性と落ち着いた景観の両立を実現しました。観点 | 従来の考え方 | 鶴橋ホーム柵の転換 |
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安全性 | 警戒色を多用し、目立たせて注意を促す | 景観に溶け込ませ、心理的な安心感を重視 |
構造設計 | 設備機能と景観を別々に設計 | 支柱や配線を一体化し、整理された見た目に |
印象 | 無骨で圧迫感のある印象 | 落ち着きと統一感のある空間デザイン |
審査員からは、「ロープ式という安価な構造を使いながら、上質で安心できる空間をつくり上げた」と高く評価されました。つまり、近鉄が示したのは「安全は目立たせるものではなく、感じられるもの」という新しい考え方です。
深掘り視点:
鶴橋駅のホーム柵は、“安全”と“美観”は両立できるということを証明しました。これまで“異物”として扱われてきた安全設備を、駅空間の一部として自然に溶け込ませる。この発想の転換は、今後の駅デザイン全体に大きな影響を与える可能性があります。
4. デザインを「企業運営の仕組み」として取り込む

3つの事例に共通しているのは、「デザイン=見た目の装飾」ではなく、会社の仕組みそのものを変える手段として活用している点です。近鉄は、鉄道・不動産・観光といった複数の事業を横断しながら、デザインをそれらをつなぐ“共通言語”として取り入れました。つまりデザインを、企業の意思決定や事業の進め方を変える「経営の軸」として位置づけたのです。この変化は、インフラ企業が直面する社会課題に対する、ひとつの明確な答えでもあります。
社会課題 | 従来の対応 | 近鉄の取り組み |
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人口減少・高齢化 | サービス効率の追求 | 移動時間そのものを“豊かな体験”に変える |
多様な利用者ニーズ | 一律の設備設計 | 年齢や目的に合わせた使いやすさを提供 |
都市開発との連携 | 部署ごとの分業 | 駅を核に、地域と一体で設計する |
つまり近鉄が目指しているのは、「鉄道を運営する会社」ではなく、「人と街を結び直すプラットフォーム企業」への転換です。この構造転換こそ、デザインを経営の中心に据えた新しい企業モデルの実践といえます。
5. まとめ:近鉄が見せた“公共交通のこれから”

今回の受賞は、近鉄が「鉄道をどう動かすか」ではなく、「人がどう過ごすか」という視点で考え抜いた結果です。車両・駅・ホームドアという3つの異なる分野で、次のような“人を中心にした答え”を提示しました。
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人が選べる移動の形(8A系)
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街とつながる駅の形(大阪上本町駅)
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安心できる安全設備の形(鶴橋駅ホーム柵)
この3つの取り組みに共通しているのは、「移動の快適さを社会全体の豊かさにつなげる」という発想です。近鉄は鉄道を単なる交通手段ではなく、人の暮らしや街づくりを支える、社会インフラとしての体験デザインへと進化させようとしています。
出典
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近畿日本鉄道株式会社「3部門で『2025年度グッドデザイン賞』を受賞」(2025年10月15日)
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公益財団法人日本デザイン振興会「グッドデザイン賞 2025」公式発表資料