2025年大阪・関西万博のシンボルとして整備が進められている「大屋根リング(グランドリング)」。日中に見るその姿は、巨大木造建築ならではの温かみとスケール感で圧倒されますが、夜になるとその表情は一変します。
照明に照らされ、暗闇の中に浮かび上がる巨大な「大屋根リング(グランドリング)」。その姿は、まるで宙に浮かぶ清水の舞台が延々と続いているかのような幻想的な光景です。日本の伝統的な木組みの技法を現代建築に昇華させたこの構造物は、見る者の感性に訴えかけ、静かに、しかし確かな存在感を放っています。
足元には、園路をやわらかく照らす無数の灯りが続き、来場者の歩みを静かに導きます。見下ろせば、世界各国のパビリオンが煌めきながら広がっており、そこにはまさに“非日常”の光景が展開されています。
大屋根リングの内部に足を踏み入れると、そこはまた別世界です。天井高およそ20mに及ぶ広々とした空間に、繊細かつ重厚な木組みの構造が幾何学的な美しさをもって広がっており、まるで巨大な寺院に迷い込んだかのような感覚に包まれます。
この大屋根は、日本の伝統的な木造建築技法を参照しながらも、現代のエンジニアリング技術によって構成されたもの。無数の木材が精緻に組まれ、接合部には金属部品を極力用いずに仕上げられており、その意匠には“和”の精神が息づいています。
巨大でありながらどこか静謐な雰囲気をまとい、足を止めて上を見上げると、心がスッと落ち着くような、不思議な安心感があります。構造物としての圧倒的なスケール感と、人を包み込むような優しさが共存しており、大屋根リングはまさに“建築による癒し”の象徴とも言える空間です。

会場のハイライトのひとつ、「ウォータープラザ」に架かる大屋根リング。夜になると“アオと夜の虹のパレード”の舞台となり、虹色にライトアップされた姿が、水面に美しく浮かび上がります。

木のぬくもりと光の彩り。その調和が、訪れた人々の心を静かに揺さぶります。

さまざまな意見が飛び交ったこの大屋根リングですが、実際にその下に立ち、空を見上げた瞬間、疑念は消えました。この存在感、この美しさ――やはり、この場所には、このリングが必要だったのだと、心から思います。

夜の大屋根リングの上を、ゆっくりと歩みを進めていきます。足元には柔らかな照明が続き、空中回廊を歩いているかのような浮遊感が広がります。
とりわけウォータープラザ側のリングの上では、光の色が刻一刻と変化し、静かに躍動するような演出が施されています。

青、紫、橙、そして虹色へ――移りゆく光が木の表面をやさしく照らし、そのたびに風景が異なる表情を見せてくれます。
その光のゆらぎは、まるで未来と伝統が語り合っているかのようで、心の奥にふと静かな感動が生まれます。一歩ごとに深まっていく没入感。ここでしか出会えない特別な時間が、そこには流れていました。

日中の力強さと、夜の幻想。同じ大屋根リングでありながら、時間帯によってまったく異なる表情を見せてくれるこの場所は、まさに大阪・関西万博の象徴と呼ぶにふさわしい存在です。

木の温もり、光の演出、そしてそこに集う人々の気配が織りなす空間は、単なる建築物を超えた“体験”として、記憶に深く刻まれていきます。
いくつもの議論を経て完成したこのリングは、いま確かに、人々を包み、つなぎ、未来へと導いています。
この大屋根リング、もう掛け値無しに素晴らしいです!
イタリアは芸術品を運び入れている様ですし、各国それぞれ苦心して限られた時間内に用意をして下さいました。
けれども失礼で残念な日本人には遊園地と何ら変わりが無い様で、これではもう日本の将来は無いなぁと思いました。
テーマパークは楽しいです。けれども万博の存在意義は別のところにあります。
今の日本人にはただ楽しいか、どれだけ安いかしか無いのですね。
子供の頃に親が買ってくれたガイドブックを見て、どれも興味のあるものばかりで、どこに入ろうかと悩んだものです。
幼い私でも好奇心を膨らませて楽しみにしたものですが、今の人にそれを言ってもネットで良いじゃないかで片付けます。
だからもう海外へ行かなくなったのかな? ネットの動画を見て行った気になるとか?
じゃないですよね。単にお金が無いだけで、本当は円高なら行きたいですよね。
万博はそこに人もいますし、目の前で実物を見ることが出来ます。体験も出来ます。しかも入場料は七千円前後です。テーマパークの半額ですよね?
それで一日楽しんで好奇心を満たせる施設はそんなに無いと思いますけど。
夜もイイですね!!