阪急梅田本店
かつて“オワコン”と揶揄された百貨店が、令和の都市戦略の中で再び注目を集めています。その象徴が、新宿の「伊勢丹新宿本店」と梅田の「阪急うめだ本店」です。両店ともに単店売上で国内トップクラスを誇り、伊勢丹は4,212億円、阪急は3,653億円を記録。その存在感は単なる規模にとどまらず、都市と顧客の接点のつくり方において、全く異なる思想とアプローチを採っています。
伊勢丹は、外商・EC・店頭の三層を活かして都市の外側まで“面”で囲い込む拡張型モデル。阪急はリアル空間に機能と感性を凝縮し、“点”として都市の磁場を形成する集約型モデル。それぞれが異なる都市環境に最適化された「都市接続のかたち」といえるでしょう。
本稿では、両店の売上構造を「外商」「EC」「店頭」に分解し、その裏にある都市戦略、顧客構造、そして未来ビジョンを解き明かします。これは優劣ではなく、異なる文脈で到達した“百貨店の進化の現在地”を可視化する試みです。
第1章:売上構造を三層で解く──都市戦略の縮図
店舗名 | 総売上高 | 外商売上(推定) | EC売上(推定) | 店頭売上(推定) | 店頭構成比 |
---|---|---|---|---|---|
伊勢丹新宿本店 | 4,212億円 | 約1,100億円 | 約310億円 | 約2,802億円 | 約66.5% |
阪急うめだ本店 | 3,653億円 | 約675億円 | 0円 | 約2,978億円 | 約81.5% |
※すべての数値は公式資料および信頼性の高い報道・資料に基づく推定値です。店頭売上は「総売上−外商−EC」による差分であり、構造的な理解を目的としたもので、企業による直接公表値ではありません。
まずは両百貨店の売上構造から、その都市戦略を読み解いていきます。決算書の総売上高をベースに、過去の報道や企業資料を参照し、外商・EC・店頭という三層の売上を独自に推計。それぞれの百貨店がどのチャネルに重心を置いているかを可視化することで、都市との関係性や戦略の思想が浮かび上がります。
伊勢丹は、外商とECの合計で売上の約33%を占め、都市全体を巻き込む“都市拡張型モデル”を形成しています。一方、阪急は売上の8割以上をリアル店舗で構成し、物理空間に集客と体験を集約する“都市凝縮型モデル”を採用。特に阪急うめだ本店が立地する梅田は、関西圏からの広域集客を支える交通結節点であり、通勤・通学・観光といった多様な目的の来街者が交差する高密度エリアです。この構造的環境が、リアル空間での接客や演出に集中する阪急の戦略と強く結びつき、「都市の中心でしか得られない体験価値」を最大化するための最適土壌となっているのです。
第2章:売上構造に宿る都市DNA──拡張と凝縮の分岐点
伊勢丹新宿本店:出展:Wikipedia
この売上構造の違いは、各店舗が置かれた都市環境と、そこに応じた戦略の違いを如実に物語っています。
伊勢丹新宿本店は、外商(約1,100億円)とEC(約310億円)で売上の3割超を構成し、“店の外”での顧客接点を多層的に展開。新宿という多様な人流の交差点において、都市全体をショールーム化するような外商・EC戦略が有機的に機能しています。一方の阪急うめだ本店は、約3,000億円の店頭売上が全体の8割超を占め、リアル店舗への物理的集客に特化した構造を取っています。関西広域からのアクセス性を背景に、「来店そのものが価値となる都市体験」を演出し、劇場型空間としての魅力を最大化しています。
つまり、伊勢丹は都市全体に接点を張り巡らす“拡張型”、阪急は都市の中心に凝縮する“集約型”という、真逆の都市接続モデルを実践しているのです。
第3章:誰に・何を・どう届けるか──接客戦略とCRMの分岐線

伊勢丹新宿本店は、法人・個人外商を統合した「外商統括部制」によって全国の超富裕層を新宿に集約。年間300万円超のプラチナ顧客には売場横断型のパーソナルMD提案を行い、信頼と満足度の高い購買体験を提供しています。
EC分野でも、meecoを中心とした動画接客やライブ配信、アプリ連携によって都市生活者の感性消費を支え、約310億円の売上を確保。物理空間とデジタル空間を横断するCRM戦略が実を結びつつあります。阪急うめだ本店は、若年富裕層を中心とした外商強化に注力し、時計や子供服など高額カテゴリを軸に外商売上を約675億円に拡大。13階VIPサロンを活用した高付加価値接客とアジア圏富裕層へのCRMも進展しています。
一方で、阪急はECを店舗売上に含めず、あえてリアルに特化した構造を維持。来店という行為そのものに価値を見出す「体験重視」の都市型戦略を貫いています。
第4章:空間が語る戦略思想──拡がる都市、凝縮する磁場
出展:伊勢丹新宿本店
伊勢丹新宿本店は、都市全体を一つのショールームと捉え、空間を分散的かつ立体的に編集。催事やリモデルごとに売場コンセプトを刷新し、外商・EC・店頭の接点を自在に組み替えながら、都市生活者との多層的な接続を実現しています。meecoやVRショールームを通じて、都市のあらゆる場面に“伊勢丹体験”を浸透させる構造は、店舗を超えた“都市型パーソナルメディア”へと進化しています。
阪急うめだ本店は、都市の中心に高密度の“劇場空間”を築き、集客と消費を凝縮する構造を徹底。高天井空間や祝祭広場、劇場型ブティックなどが「来ること自体が価値」という空間体験を創出しています。2026年春の全面リニューアルでは、国際外商CRMやブランド再配置が進み、磁場としての吸引力がさらに高まります。
戦略項目 | 伊勢丹新宿本店 | 阪急うめだ本店 |
---|---|---|
接客チャネル | 外商・EC・店頭の三層連携 | 店頭集中+外商強化(VIPサロン) |
都市との関係 | 都市全体を囲い込む「面」の拡張戦略 | 都市の中心に凝縮する「点」の集客戦略 |
デジタル対応 | meeco、VR、アプリ接客など多層展開 | ECは非計上、リアル空間に特化 |
改装動向 | 機能単位での柔軟リモデル | 2026年に120億円を投じ全面改装予定 |
第5章:未来を設計する構造力──三層戦略の本質

両百貨店の差異は、単なる施策や演出の違いではなく、「都市と顧客をどう接続するか」という構造設計の違いにあります。百貨店はいまや、都市社会の“翻訳装置”として機能し始めているのです。
伊勢丹新宿本店は、meecoやアプリ、VRといった非来店型接点を都市生活に組み込み、外商統括部の再編によって全国富裕層のハブとして機能。都市そのものに接続された“ネットワーク型百貨店”としての性格を強めています。
対して阪急うめだ本店は、都市の物理的中心に“劇場的装置”を構築。ECやOMOには依存せず、空間演出と人流密度によって感性と消費を凝縮する“ランドマーク型百貨店”を徹底しています。
今後求められるのは、「三層(外商・EC・店頭)の統合的設計」です。個別のチャネルではなく、LTV(顧客生涯価値)を最大化するために、接点のネットワーク化が不可欠です。伊勢丹はこの三層統合を先行して実装し、阪急も一部エリアでデジタル接客端末の導入を進めています。
第6章:百貨店は都市を語る──“翻訳装置”としての現在地
三層構造から浮かび上がるのは、単なる売上構成ではなく、都市と百貨店の関係をどう設計しているかという思想の差です。伊勢丹新宿本店は、都市のネットワーク性を活かした“メディア型百貨店”。阪急うめだ本店は、都市の磁力を凝縮する“劇場型百貨店”として、それぞれの都市特性に最適化されています。
百貨店は、もはや“売場”ではありません。都市と人、文化と経済、日常と非日常をつなぎ直す「都市の翻訳装置」です。伊勢丹はブランド文脈を編集し、都市感性を個客に届ける文化拠点として。阪急はリアルな空間演出によって、都市に熱量を生む装置として機能しています。
つまり両者は、異なる答えで同じ問いに挑んでいるのです──都市における百貨店の存在意義とは何か。
“最強”とは、売上ではなく、都市の変化にどこまで構造的に適応できるか。その意味で、伊勢丹は総合的な接点統合によって、阪急はリアル空間の深耕によって、それぞれの“最適解”を体現しています。
そしてこの挑戦は、他の都市・地方百貨店にとっても重要な示唆を与えます。都市構造や顧客像に応じた“構造的最適化”こそが、次代の百貨店に求められる普遍戦略なのです。
百貨店の未来は、数字ではなく構造に宿る──その最前線に立つのが、伊勢丹と阪急なのです。
付記:売上構成の推定根拠・算出式一覧(出典明記)
※すべての数値は公式資料および信頼性の高い報道・資料に基づく推定値です。店頭売上は「総売上−外商−EC」による差分であり、構造的な理解を目的としたもので、企業による直接公表値ではありません。
店舗名 | 区分 | 推定売上 | 推定方法・根拠 | 出典元 |
---|---|---|---|---|
伊勢丹新宿本店 | 総売上 | 4,212億円 | 2024年度百貨店総額取扱高 | 三越伊勢丹ホールディングス『2025年3月期 決算説明資料(ePVx.pdf)』 |
〃 | 外商 | 約1,100億円 | 外商総額2,042億円 × 新宿集中率54% | 東洋経済オンライン『絶好調の「伊勢丹新宿店」を支える顧客たちの正体』 |
〃 | EC | 約310億円 | グループEC売上460億円 × 新宿集中率67% | 三越伊勢丹ホールディングス『DX戦略資料(meeco中心のOMO資料)』および上記記事より構造推定 |
〃 | 店頭 | 約2,802億円 | 総売上 − 外商 − EC | 上記すべてに基づく算出 |
阪急うめだ本店 | 総売上 | 3,653億円 | 2024年度店舗別売上高(百貨店部門) | H2Oリテイリング『2025年3月期 決算補足資料』) |
〃 | 外商 | 約675億円 | 百貨店売上6,350億円 × 外商比率15% × 梅田集中率75% | 『阪急阪神百貨店 外商売上が過去最高に』繊研新聞等をもとに筆者推定 |
〃 | EC | 0円 | ECは「その他事業」として管理、百貨店部門売上には非計上 | H2Oリテイリング『2025年3月期 決算説明資料』 |
〃 | 店頭 | 約2,978億円 | 総売上 − 外商 − EC | 上記すべてに基づく算出 |