大阪を代表する観光スポットの1つである「通天閣」のリニューアル工事が完成し、9月から再点灯が行われ、装いを新たに大阪の街を照らし始めました!今回のリニューアルでは、1956年の再建後2回目となる再塗装を実施、より明るいライトグレーに変更されました。また、ネオン広告にフルカラーLEDビジョンを導入するなど、2025年大阪・関西万博の開催に向けて、これまでにない表情を見せています。
【出典元】→大阪のシンボル通天閣でリニューアルした LED 看板を 9 月に点灯開始 環境負荷低減、デザイン性・メッセージ性の向上を実現
→日立と通天閣の歴史
通天閣 2023年ニューアル概要
・1956年の再建後2回目となる塗装の全面塗り直し、明るいシルバーに変更
・環境負荷の低いLED照明に全面切り替え
・南面の広告を大型LEDビジョンに変更(高さ:約32m。横幅約3m)
・大時計南面に配置換え大型サイネージと連動
リニューアルの最大のトピックスは南面の広告に大型LEDビジョンを導入した事です。LEDビジョンは高さ:約32m。横幅約3mのビッグサイズ。デジタルサイネージ化したことで、英語や中国語の表記も可能となり、多彩な情報発信が可能になりました。
また、東側に設置されていた大時計のLEDビジョンを南側上部へ移設。時計の映像のほか気温計や湿度計などのリアルタイム情報の表示が可能になりました。
リニューアルされた通天閣を愛でる
それでは、リニューアルが完成した通天閣をじっくり見てみましょう!時計はフルカラーLEDビジョンで表示されています。
まずは頂部付近の様子です。随分と明るい装いで垢抜けた感じがします。今は屋上に上がれるんですね!
さらにこんなスリル体験のスペースも!
撮影ポイントを変えて南西側から見た様子です。ライトグレーの塗装に塗り直され、軽快な印象に変わりました。いい感じです。
近くで見上げた様子です。
通天閣タワースライダー(TOWER SLIDER)が設置されるなど、観光タワーとしての魅力づくりに余念がありません。
通天閣の広告スポンサーが東京の日立になった理由は?
それにしても、大阪のシンボルと言われる通天閣の広告は、なぜ東京の日立製作所なのでしょうか?順当に考えれば、大阪を代表する企業の1つパナソニック(松下電器産業)が広告のが自然な様な気がしますが、それには、こんなエピソードがありました。
初代通天閣は1912年に誕生しましたが、戦時中に付近で発生した火災により脚部に被害を受けた事に加え、戦中の金属類回収令もあり、解体・供出されました。戦後に、復興のシンボルとして通天閣を再建したいとの地元の声がもととなり、1956年に二代目通天閣が再建されましたが、多額の建設費用を賄うため「広告収入」を導入する事になりました。
当然、地元の有力企業であるパナソニック(松下電器産業)に声がかかりましたが、経済条件が厳しく松下幸之助氏が通天閣への出広を断わったそうです。中々スポンサーが決まらない中、完成後も広告スポンサー探しは続き、広告代理店から東京の取引先であった日立に声がかかりました。
折しも日立は1956年に白黒テレビ第1号機を発売し、家電事業に本格参入した時期で、競合がひしめく関西エリアで日立の名を広める狙いから、再建された翌年の1957年7月から広告を掲出するに至りました。後に、松下幸之助氏が出広を断わったことを悔いていたそうです。
通天閣には、東西南北4面の看板がありますが、西面は契約当初からの約束で、日立の広告ではなく公共面と位置づけて、社会貢献や地域の活性化を目的とした標語や文言などを掲載し続けています。
様々なエピソードと共に、現在も高い人気を誇る通天閣。その時々に合わせて少しつづ姿を変えていますが、今も昔も「民の力」によって支えられています。