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鹿児島(鶴丸 )城の御楼門(ごろうもん)の復元が完成!焼失から147年ぶりに復活を遂げる


鹿児島(鶴丸 )城は、1601年頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城です。居館の正面中央には、御楼門(ごろうもん)がありました。御楼門は、高さ・幅はともにおよそ20mの国内最大の城門でしたが、1873年の火災で本丸と共に焼失しました。

その後、歴史的な景観づくりや観光資源として復元の機運が持ち上がり、県や県内の経済団体による「鶴丸城御楼門建設協議会」が2018年から復元工事を開始。総工費109000万円のうち62000万円を寄付で集め、2020年4月に完成しました。

 

 

 

真正面から見た様子です。御桜門の形式は、22層の武家門で、門の規模は五間一戸、両脇戸(潜戸)付き、上層(2階)の屋根は本瓦葦の入母屋、下層(1階)は四方葦きおろし屋根で、上層正面には連子窓(格子窓)を出し、上層の外壁仕上げは上部漆喰塗、下部は芋目地のなまこ壁となっています。

 

 

 

「鶴丸城」の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであった事によります。

 

 

 

鶴丸城跡の堀には蓮(ハス)が群生しており驚きました!

 

 

 

地元では鶴丸城と呼ばれる鹿児島城は天守閣を持たない造りの城で、これは徳川幕府に配慮し、恭順の意を示す為だったともいわれていますが、薩摩藩の独自の統治スタイル「外城制(とじょうせい)」の考え方によるものです。

薩摩藩は、一国一城令で廃止となった城下の家臣を「城」ではなく「麓(ふもと)」と称された武家集落にそのまま住まわせ、軍事組織を残し、支配拠点を110余の麓(外城)に分けて防衛・領国支配を行いました。「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩独自の城造り思想が、天守も櫓も必要ない鹿児島城を誕生させました。

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