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『ペンの暴力』と戦う、大阪万博デマに見る現代メディアの危うさ。崩壊していたのは万博ではなく、情報空間だった。3つの誤解を読み解く


2025年春に開幕した大阪・関西万博。ここに至るまで、SNSでは「トイレは2カ所のみ」「電気が通っていない」「大屋根リングで重機が入れない」など、常識では考えにくい情報が拡散されました。一部メディアがそれを拾い、“崩壊寸前の万博”という虚像が形作られていったのです。

しかし、会期が始まれば、整備された水洗トイレや電力供給、計画通りに重機は搬入され、多くの情報が誤りだったことが明らかになりました。なぜ、こうしたデマが拡がり、修正が困難だったのか。3つの具体的な事例を検証し、拡散の構造と、その社会的な意味を探ります。

「2億円で汲み取り?」SNSを騒がせた“トイレ炎上”の真相


筆者撮影:当たり前だがすべて水洗トイレだった

2024年3月、有田芳生氏がX(旧Twitter)で「トイレは2カ所」「8万人が汲み取り式」と投稿。SNS上で急速に拡がり、Yahoo!コメントなどでも「恥ずかしい」との声があふれました。


「大阪万博で2億円の公衆トイレ2箇所設置に呆れる。1日の来場者は想定16万人。トイレの下水処理能力は8万人。あとは汲み取りになるという」

西谷文和氏も「汲み取りになるかもしれない」と東京新聞でコメント。SNSでは“汲み取り式トイレ万博”という言葉が独り歩きしました。


発端となったのは東京新聞による「2億円トイレ」報道。これは20組の若手建築家に活躍の場を与え、万博にふさわしい創造的デザインを導入する、という趣旨で行われた取り組みで、建設と解体を含む総額であることは明記されていませんでした。

吉村洋文知事はX上でこの情報を「完全なデマ」と否定。実際には水洗式トイレが46カ所、個室換算で1,650基設置され、汲み取り式ではないことが公表されました。日本テレビ「news zero」では、2億円という額も平米単価で見れば一般的な水準以下であることが報道されました。現地で試験的に設置されたバリアフリートイレも、水洗機能が正常に作動している様子が伝えられています。この騒動は、確認されていない断定的な発言と、それを拾う報道、そして拡散されるSNSという三層構造によって“デマ”が事実化する過程を象徴するものでした。

「電気も水も来てない?」“崩壊寸前の万博”と呼ばれた虚像の正体


筆者撮影:万博の建設が始まる以前から横浜冷凍の夢洲物流センターが稼働していた

2023年末から、「夢洲に電気も水道も通っていない」といった投稿がSNSで拡がりました。日刊ゲンダイの記事「建設現場はいまだ発電機と仮設トイレ頼り」や、朝日新聞の「変電所契約の頓挫」報道が引き金となり、「インフラが整っていない=開幕に間に合わない」という連想が拡散されたのです。

SNSでは「電気が来ていない」や「だからクールジャパンな大阪万博」などの揶揄が目立ちましたが、実際には大阪市港湾局が2024年1月に「必要な電力はすでに供給されており、上下水道も整備中」と公式見解を発表。夢洲にはすでに稼働中のガントリークレーンやコンビニも存在し、「完全な未開発地」という認識は誤りでした。変電所契約の一時停止も、万博用の暫定設備とは無関係であり、大阪市建設局の資料には、配電・水道整備の詳細な進捗も記されています。現地を訪れればわかる事実が、現地を訪れない者によって歪められ、誤解が拡がっていった。この構造は、共感とネガティブな感情が先行するSNSの構造的な問題を浮き彫りにしました。

「重機が入らない大失態?」大屋根リング“施工ミス”報道の真偽

筆者撮影:大屋根リングの搬入経路。公道を走れる車両なら問題なく通過できる

2024年2月、日建連・宮本洋一会長の「リングが一周つながると重機が入りにくくなる」という発言を、日刊ゲンダイが「シロウトでもわかる施工ミス」と報道。SNSでは「ズッコケ万博」などのコメントが拡がりました。

しかし、大屋根リングは全長2km、高さ20mの巨大木造建築。大林組・竹中工務店・清水建設らが参画するプロジェクトで、設計段階から搬入路が複数確保されていました。

筆者撮影:リング内部立ち並ぶパビリオン

内側のパビリオン工事も、あらかじめ大型重機を内側に配置したうえで進行されており、リングが閉じた後も計画通りの工程が実施されました。現地を見れば、リング下に搬入路が存在していることは明らかです。

このような誤情報は、現場を知らない者による“想像”が前提となっており、2025年3月にはリングが「世界最大の木造建築」としてギネス認定を受け、日本の技術力の高さを世界に示しました。

なぜデマはここまで広がるのか? SNS時代に問われる“拡散の責任”


筆者撮影:テストランのときは工事中だっセルビアのパビリオン。開幕に間に合った

3つの誤情報に共通しているのは、「短くて強い言葉」がアルゴリズムに好まれ、正確性より拡散性が優先されるSNSの構造です。情報が“面白く”“拡がりやすい”ことが正義となるなか、文脈を失った情報が誤解として再生産されます。

報道機関もアクセスや視聴率を優先し、SNS発信をそのまま拾い見出しにすることで、誤情報を“補強”してしまう構造に陥っています。さらに、訂正はほとんどの場合届かず、記憶には「最初の誤報」だけが残る。一度刷り込まれた印象は、事後的な反証ではなかなか上書きされません。SNSとメディアが結託し、誤情報を“兵器”として利用するケースすら見られます。本来、中立であるべき報道が、党派性や敵対意識と結びつき「印象操作」へと傾いたとき、情報は社会を分断する力となってしまいます。それが現代における、ペンの暴力の姿です。

考察:情報空間の限界と可能性


大阪万博をめぐる3つの誤情報は、単なる誤解ではなく、現代の情報環境が抱える構造的な問題を象徴していました。そこには、責任なき情報空間、メディアの政治化、そしてSNS時代の歪んだ“共感の経済”が重なっています。


問題点:責任なき言説空間と“ペンの暴力”


最大の問題は、誤情報や印象操作に対して誰も責任を負わない構造が放置されている点です。センセーショナルな投稿が流通し、事実に基づいた訂正が届かない。しかも訂正には何倍もの労力がかかるため、多くの場合は誤情報だけが人々の記憶に残ります。

この状況を逆手に取り、党派性の強い一部のジャーナリストやメディア、有識者が連携して、都合のいい情報だけを切り取り、政敵を攻撃する情報戦術が成立しています。それはまさに、情報空間における「ペンの暴力」であり、健全な議論や社会の信頼を損なう要因となっています。


可能性:分断される情報空間と“ファクトの逆襲”


一方で、希望もあります。これまで大手メディアが独占してきた情報の流通構造が、SNSやYouTubeの普及によって変化し、個人でも直接、発信や検証が可能になってきました。情報の民主化が進んでいるのです。

たとえば、X(旧Twitter)の「コミュニティノート」は、報道や著名人の発言に対し、ユーザーが事実補足や文脈注釈を加える仕組みとして注目されています。SNSは誤情報を拡散させる装置であると同時に、誤報を補正する機能も内包しているのです。“空気”に流されやすい一方で、メディアを監視・是正する新たなファクトチェック機構としての側面が育ちつつあります。



今後は、「ペンの暴力」を防ぐ手立てとして、報道記事のアーカイブ化による検証可能性の担保や、メディアごとの誤報率を可視化し、信頼性スコアを付与するような仕組みの整備も視野に入れるべきです。情報に責任を持ち、伝える側も問われる時代が、すでに始まっています。

共感よりも正確性、感情よりも検証を選ぶ姿勢

万博をめぐる一連の騒動は、情報流通がいかに感情と結びつきやすく、いかに社会を誤った方向へ導き得るかを示しました。だからこそ今、私たちに求められるのは、「共感よりも正確性、感情よりも検証を選ぶ姿勢」です。この問いから目を逸らせば、情報空間の混乱は続き、民主主義の基盤が損なわれるでしょう。しかし、問い直しを止めなければ、いかなる歪みも回復可能です。

大阪万博に絡む誤情報騒動は、現代の情報社会における“試金石”だったのかもしれません。


1 COMMENT

ガンマ

多分、1970年ごろから深夜に放送されているNNNドキュメント番組の中で、北朝鮮に渡った日本人妻の親族との交流会特集を組んだ回があり、「楽園の地」と謳われたはずの北朝鮮が実施は酷い差別を受け洞穴のようなところに住まわされ、着るもの食べるものを欲しいとは言えず北朝鮮は素晴らしいとしか言えず「助けて欲しいのか?」に対し、声は発せず[目と瞬きで助けて欲しい]と返事を返す姿を見て親族が悲しんでいるという内容でした。
しかし、日常時間帯では微塵も放送せずです。
その辺りから私は報道、学校、雑誌での内容に疑問を持つようになりました。

snsが更に意見のいえるツールとなり、一方的な報道に疑問を持つ方々が多数いるのも分かり、
今ではデマも交えた情報合戦になっているかと思います。
やはりキャッチーな情報に飛びつかず、冷静になって見渡すことが大切な時代になったと思います。
今は再都市化が心ときめく最高の情報源です!!

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