新道小学校(しんみちしょうがっこう)は学制公布前の1869(明治2)年、地域住民らが設立した64の番組小学校のうちの一つです。近隣の4小学校、2中学校との統合にともない、2011年3月に閉校し142年の歴史に幕を下ろしました。その後は10年間、NPO法人などが入居する施設として使われていました。
小学校跡地については、NTT都市開発と京都市、新道自治連合会の3者が協議を行い、地域の方々の英断により「元新道小学校跡地活用計画」を進める事で合意し、宮川町歌舞練場、宿泊施設、地域施設などが景観等に配慮され再整備される事になりました。2025年夏ごろをめどに、開業する予定です。
再開発に伴う解体工事を前にして、『永久に茂らん新道校 ありがとう!元新道小学校お別れ会』が行われ、小学校の校舎内が一般に公開されていました。
教室内部の様子です。いきなりですが、映画の舞台に迷い込んだ様な光景に圧倒されました。
階段の記憶
階段付近の様子です。一階では卒業生と思われる方々が談笑されていました。
僕はここの卒業生ではないので、少し申し訳ない気持ちになりながら、逃げる様に2階へ向かいました。
階段の途中で息をのみました。このツルツルの手摺りは凄い・・。小学校が刻んできた、長い年月そのものだと思います。
タイル張りの床も年季が入っています。
建物から子ども達の声が聞こえてきそう
エントランスで「自由にご覧下さい!」と案内されていたので遠慮は要らないのですが、少し気を遣っていました。2階に上がると人口密度が一気に減ったので「ほっ」と一息。
廊下の様子です。良く手入れされた廊下、壁、扉。ホンマに凄いですね。今にも子ども達が飛び出してきそうな不思議な感じでした。
上階の教室の様子です。レトロな教室に立つと、何故か「良い意味での情念的なモノ」を建物から感じる事がありました。これまで、ほとんど経験したことがない感覚でした。カタチやデザインは異なりますが、久しぶりに小学校の基本フォーマットを見た事で、自分の記憶が呼び起こされたのかもしれません。
年季の入った「年表」
畳敷きの和室「作法室」
床の間がある和室。鉄筋コンクリート造の校舎の中とは思えない雰囲気ですね。
理科室
黒板のチョーク入れ。生きた小学校だった証しがありました。
理科室の教壇。
薬品庫の中にある保管品リスト。何年前のモノなのでしょうか・・。
小学校と再開発
子育てがしにくい環境だから児童が減って小学校が無くなったのか、それとも小学校が無くなったから児童が減ったのか。
少子化のトレンドは大きな流れで変えようがないので、小学校の統廃合は仕方ないのか?抗う事はできなかったのか。
思い出の詰まった校舎を潰すのか、残すのか。残して何に使うのか。
残したとして維持費はだれが負担するのか?耐震性はどう担保するのか?
解体して民間に売却(賃貸)して開発させて集客するのが良いのか、それはダメで他の道を探るのがよいのか?ダメな理由は何なのか?
現実的な活用案、保存案はあるのか、あるのであれば、何故それが出来ないのか?
再開発の是非は、建物自体が持つ歴史的な価値や、立地条件、地域との文脈を考えた上で、地元の意見を踏まえて「ケースバイケースで決まる」との思いがある中、小学校をホテル化する再開発に対して「反射的に酷くこき下ろす人が多い」のは何故なのか?そのヒントがあるかもしれない、と思ったからです。
新道小学校は、隣接する宮川町歌舞練場とあわせて民間が再開発を行い、ホテル等に生まれ変わります。実際に現地を見学して感じた事は「記憶、ノスタルジー」、見えたモノは「老朽化した建物」でした。
NTT都市開発の提案内容は景観に配慮した、とても出来の良い内容となっており恐らく魅力的な施設が出来上がって、外部から地域に人を呼び込み、地元に経済的なメリットをもたらすと思います。また、ポストコロナを見据えた動きとして、地元の方々が再開発に同意し、推進する決断をしたのは、正解かつ現実的な答えだと理解しました。
思い出の小学校が無くなるのは悲しいと思いますし、実際に通っていた方であれば、老朽化した建物をどうするのか?放置したままで良いのか、地元がどうなるのか、を自分事で考えると思います。
これらについて、状況や環境を全く無視して一方的に理想論を振り回すのは「他人事」であり、出来る範囲で良いので「自分だったらどうするか?」を考えのが良いと思いました。
これだけの歴史がありながら。。
外観が旧奈良少年院のような趣があれば解体は免れていたかもしれませんね。